マーロウにはなれないけれど
当時のマーロウは、なんとまだ33歳だ。血気盛んなマーロウは『ロング・グッドバイ』のマーロウよりずっと若く、言動も荒っぽい。巷に定着しているマーロウほど疲れてもいないし、くたびれきってもいない。
ブラックジャックで頭をどやされた翌日、遅くとも朝10時くらいにはオフィスに出勤し郵便物を確かめ依頼人と会ったりしている。タフガイというかもはや怪物の域である。
どうしてぼくはマーロウとタメなのにこんなに疲れてるんだろう、と数年ぶりに村上春樹訳でシリーズ全作を読み返しながら、うつまっ最中にメソメソと泣いた。完全に情緒がおかしい。まずマーロウと自分を比べるところからおかしいし、そもそもマーロウは架空の人物である。
§
うつが重症化してしまった。これまでも何度か経験しているけれども、その中でももっとも重い悪化だと自分では感じている。実際、主治医からは休業と入院を勧められた。入院はなんとか回避したけれど、春頃から夏にかけては外出禁止令が敷かれていて、そのあいだぼくは自宅と整骨院を行き来するだけの生活を送っていた。おばあちゃんかな?
原因については、正直これといったものがないのでなおさら困っていた。明確なきっかけがあったわけではない、ただ2月にノロに罹ってパートナー共々ぶっ倒れてから、なんだか調子を崩しがちになってしまった。
いま振り返ると、燃え尽き症候群だったのではないかと思う。というのもその直前に、SMSで直接、父親にブチ切れていたからだ。これまでだってそういうことはあったけれど、いつも母伝いという形を取っていた。しかし今回は何かが自分の中で切れ、気づくと彼にショートメッセージを打っていた。挙句、電話をかけて「ぜんぶお前のせいだ」と怒鳴りつけてガチャ切りするという奇行をぶちかました。
これが思いのほか、彼にダメージを与えていたらしい。父はその2週間後くらいに救急車でドナドナされ、今年に入ってから二度の手術を受けていた。もちろん見舞いには行っていないし、具体的な病名も日取りも知らぬままだ。ドナドナされた父はドナドナとドナドナの合間に意地悪ババアこと父方祖母に会いに行っていたのだが、ぼくはSMSの中でババアへの憎悪も綴っていた。「あのババアのミソジニーを正してこい」とまで発言したのだが、どうやらそれも達成されたようだと母から聞いた。
その瞬間、長年背負ってきた重荷がどさっと、両肩から落ちる音がした。「あ、この人たちも人間なんだ」。精神的に追い詰められれば身体に不調をきたすし、落ち込みだってする。寿命だってある。不死身じゃない。
ぼくはどこかで父もババアも、不死身のような気がしていたんだと思う。ババアは80後半を超えてもなおピンピンしているし、父はヘビースモーカーなくせしてこれまで病気の一つもしなかった。父の父、つまり祖父も同じくヘビースモーカーだったのだが、肺が穴だらけになってもなお90近くまで生きていたし。大往生すぎる。15歳くらいから吸ってたと聞くから、煙草が体に悪いなんて嘘なんじゃないかとすら思う。
ババアと煙草吸いの寿命から見るに、父も相当長生きすることが安易に予想できる。ずっと前にAERAで取材を受けたとき「父が死なない限り安心できない」というようなことを言った。もちろんヤフコメは炎上したし、父の死を願うぼくは異常者だと断ずるヤフコメラーにリンチされまくった。
でも、父とていつかは死ぬのだ。これまで実感したことはなかったけど、あの人にだって寿命はある。いつかあの大きなでっぷりとした恰幅のいい体は朽ちるし、脳もきっと衰える。数年前にアイコスに切り替えたかなんだかって聞いたけど、喫煙は喫煙だろう。長生きしたって、いつかは死ぬ。祖父は最期、かなり苦しんで死んだみたいだし、父だってタダでさっさとあの世にいけるとも思えない。ていうかあの男を看取る人間いるんかな、ぼくはごめんだぞ。喪主どうすんだろ。
とにかく、心のどこかでずっとラスボスだと思っていた父を倒してしまった。これはぼくの精神に多大な影響を及ぼしたし、生まれて初めて、心から安堵できた。生命の危機に怯えながら生きる日々だったけれど、あと20年もしたらあの男は死ぬ。ちゃんと死ぬ。不死身じゃないのだと思えただけで、これまで感じていた緊張の糸がふっと解けた。
そこからなぜか突然、うつが悪化した。食事を摂れなくなり、文章が書けなくなった。抱えていた案件のいくつかはクライアントさんに平謝りして途中で投げ出してしまった。これは本当に本当に情けなくて情けなくて涙が出るほど悔しかったけど、エッセイやコラムを書かせていただいているメディアのクライアントさんたちはぼくの病気も特性も承知のうえで依頼してくださっているので、「どうしようもないときだってあります。まずはゆっくり休んでください」と優しい言葉を送ってくださって、それでまた泣いた。
ところで、二十歳でうつの診断を下されてからというものの何度か悪化は経験しているんだけれども、その主な症状は希死念慮だった。毎日ベッドから起き上がれず「しにたいしにたい」とメソメソグズグズ泣くのがお決まりだったのに、今回の悪化の症状はそれとはいささか様相が異なっていた。
ベッドから起き上がれないのは同じなのだけれど、「わかりやすい希死念慮」の訪問自体はかなり少なかったのだ。体が鉛のように重たくなって、何をするにも億劫になるところは同じだけれど、積極的な死への希求はほぼほぼ無かった。代わりにやってきたのは「仕事できねえな、これからどうやって生きていこうかな、なんか生きるのってコスパ悪くない? もうめんどくさいな、死んじゃおっかな〜」みたいな、すごい軽いノリの希死念慮であった。
主治医にこの旨を相談すると、顔色が変わった。インターネットは閲覧できないしSNSもできないし映画や漫画は消費できなくなってしまったけれど小説だけは読めている、と伝えると「小説は読めてるのね、じゃあ入院は大丈夫だ、うん。あ、でも仕事は休めるよね? 休んでね」と言いながらPCにカルテを打ち込む先生の蒼白な横顔から、「これってかなりやばい状況じゃん」と察してしまった。
無理もない、「ちょっと元気なうつ」というのがいちばんタチが悪いのだ。「しにたがりの希死念慮」に襲われているのであれば、動くことすら叶わないのでまず実行に移さない。でも「めんどくさがりの希死念慮」はわりあいちょっとしたきっかけで成し遂げてしまいやすいのだ。うつ12年生のぼく、知ってる。いまちょっと危ない感じのうつになっちゃってる。
先生の言葉と増やされた/変更された薬を大量にサブバッグに入れて電車に乗るとき、理性を振り絞って飛び降りないように気をつけねばならなかった。そこから各クライアントさんに連絡し、しばらく休養することを伝え、SNSでも公言した。それがたしか春ごろのこと。
そこから排外主義が加速し、参政党などというトンデモ集団、新潮社の件やら果ては石破辞任などが追い討ちをかけ、いよいよ復帰が長引く事態となってしまった。当初の予定ではせいぜい半年くらいの休養を想定してたんだけど、これは無理だ。いま復帰してヤフコメでボロカス言われたら、まじでぼくは死んじまう。やりたいことは死ぬほどあるのに、まだ33になったばっかのエケチェンなのに、死んじまうわけにはいかない。マーロウにはなれないけど、ぼくなりにタフでいなければならない。
というわけで、ぼくは数年間のライター休業に踏み切った。正直言って簡単な決断ではない。やっと有名なメディアでも執筆できる機会が増えて、紙媒体でのお仕事の話も持ち上がっていたのに、長期的に休まねばならぬ状況にさすがのぼくも心が折れた。でも死ぬよりましだ。生きてさえいれば、また書ける。ペンネームを変えてこれから本格的に頑張るぞと意気込んでいた矢先だったので相当堪えたけれど、致し方ない。
ライター休業期間の方針は正直まだ定まっていないのだけど、しばらくはお仕事として文章を書くのは控えようと思う。受注をいったん、少なくとも数年は停止して、実質ニートの形でパートナーに甘えさせてもらうつもりだ。家も買ったばかりでローンもたんまり残っている状況でのニート化はかなり胃が痛いのだけれど、それでも「ちょっと休んだら」と言ってくれたパートナーには頭が上がらない。そして休むことを選択できる自分の境遇がいかに恵まれているか思い知らされた。
WEBで執筆すること自体をきっぱりやめてしまおうかとも、本音を言うと考えた。ぼくが扱うテーマはどうしたって炎上しやすいもので、書けば書くほど削られていく。地下室の猫たちはばたばたと倒れ、蘇生だって追いつかなくなる。
それでも、インターネットで救われてきた経験が今の自分を形作ったのもまた確かなのだ。10代の、だれにもバックグラウンドを打ち明けられなかったあのころ、吐き出すようにブログや自作HPで小説もどきや散文を書き散らかしていたぼくに、コメント欄で寄り添ってくれたひとたちだけが、ぼくの唯一の心の拠り所だった。インターネットに命を救われたといっても過言ではない。
現代の10代は、ぼくたち世代よりもずっとインターネットが世界の中心に据えられているように感じる。それだったら、書籍代(というか物価全般)の高騰が進み活字離れが顕著になった今、中年の入口に立つマイノリティとしてWEBでものを書くのをやめちまったら、責任の放棄になっちゃうんじゃないだろうか。
もちろんのことこれはぼく個人が勝手に負っている責任の話であって、すべてのマイノリティ属性の発信者に当てはまるものではない。でも、ぼくとしてはその責務をまっとうしたいと強く思っている。
だからWEBで書くことそのものは休業中もできる範囲で続けていきたい。TheLetterは不定期でも更新していきたいし、そのうちごく個人的な話題で有料記事なんかも出せたらいいなと目論んでいる。そうしながら小説を書いて、地道に文学賞に送る生活をしていこうと思う。いつか元気になったら、ライターとしての仕事も復帰したい。
というわけで、ぼくは生きる。生きるぞ。マーロウにはなれないけど、ぼくなりにタフに生きていってやる。だからあなたもどうか、あなたの地下室の猫を拾ってくれ。生きてくれ。死にたくなっても、どうか猫を拾い続けてくれ。埃を払ってブラッシングして、暴れる猫を風呂に入れ(これ猫と暮らすひとはわかってくれると思うけどかなりの重労働だよね)、毛皮を乾かし、ほこほこになった猫とぐっすり眠ってみてくれ。そして目覚めたときにはもしかしたら、明日も生きようという気持ちになれるかもしれないから。
すでに登録済みの方は こちら